21.9.12

刻まれた記憶






ベルリンやヨーロッパの街を歩いていて、「おや?」と思った方も多いはず、この金のプレート。
しゃがんでよく見ると、そこには文字がかかれてます。




HIER WOHNTE
「ここに住んでいた」
DIETER HOHENSTEIN 
「ディーター・ホヘンスタイン(名前)」
JG. 1934 
「1934年生まれ」
DEPORTIERT
34. OSTTRANSPORT 
「34回目の強制送還にて収容」



そう、これはドイツで最も悲惨な歴史を刻んだプレート。
ナチスによって大虐殺されたユダヤの人々を想って埋められた慰霊碑なのです。


『ヨーロッパの石畳の道で、他の石より少し飛び出ているその金色のプレートに躓いたとき、
人々はふと、そこに記された個人の名前を通して歴史に触れることができる。。。』


そんな意味を含んだこのプレートはStolpersteine、「躓きの石」と呼ばれています。


ドイツに来てかれこれ1年を過ぎたとある昼下がり、
ワタシはこの石に躓いたわけです。

そこから知った、その歴史。

1941年から1945年の間にベルリンでは計61回の強制送還が執行されました。
このプレートに記されている"34"という数字は
1943年3月4日に行われた34回目の送還だということを意味します。
ディーター・ホヘンスタインさんは、
その日アウシュビッツに送還された1120人の内の一人。

その人がいつ生まれ、そしていつ悲劇の巻き添えとなったのかが記されているこの石は、
かつてその人が住んでいた建物の軒先に埋められているんですね。





1941年に約6万6000人のユダヤ人がベルリンに住んでいたのですが、
この61回にもおよぶ"Osttransport"(東ベルリンからの送還を指す名称)によって約3万5000人が虐殺されたのです。
ベルリンからはこの"Osttransport"の他に、主に老人ばかりを集めた"Alterstransporte"も執行され、
これによってさらに約1万5000人ものユダヤ人がチェコのテレージエンシュタットに送還、虐殺。
強制送還から逃れられたとしても、迫害によって自殺をした人たちも多く、
1945年の5月時点で、ベルリンに住んでいたとされるユダヤ人の数は約7000人と記録されています。


さて、誰がこの「躓きの石」を埋めたのか?
それは、ベルリン生まれのアーティスト、グンター・デムニク氏。
1947年生まれの彫刻家の彼がこの「躓きの石プロジェクト」というアイデアに着手したのが1993年、
その4年後の1997年にベルリンでひとつめの石がクロイツベルク地区に埋められました。
現在、ベルリンには1500を超える石が埋められているそうです。


このプロジェクトはベルリンを初めとしたドイツ全域、、だけに留まらず
オーストリア、ハンガリー、オランダ、ベルギー、チェコ、ノルウェー、ウクライナと
ヨーロッパ全土約610の市町村でこの石を見つけることができるとのこと。
しかーし
プロジェクトにあまり賛成ではない市町村もあって、そこには賛否両論、「歴史を語る」と簡単に言えない問題も色々あるみたいです。。。

が、このプロジェクトは、デムニク氏の想いに共感し自分にも何か出来ないかと立ち上がった人々の寄付金(120ユーロで石をひとつ埋めることが可能)によって、
これまでにもたくさんの市民や自治体が参加し、たくさんの人がその石を通して歴史を知ることができているんですね。


ドイツを中心としたヨーロッパの人々は、過去に起こった悲惨な歴史を日常生活の中に刻み、
人々の心にいつも語りかけることを積極的に行っていることを知ったのでした。
実際に私もこの石を通して、こうやって歴史をちゃんと知ることができた訳で。。。

そうゆうこと、日本でももっとできないのかしら!!!




忘れてはいけない過去と、今を生きる私たちを繋ぐ「躓きの石」
近々、石を埋めるイベントに参加するので後日そちらのレポートもぜひ。


つづく。